シナプス後藤です。
「思考停止」という言葉は、ロジカルシンキングやクリティカルシンキングとともに良く使われるキーワードです。
例えば、教育界では良く「子供のために良い事を」という意見が出ます。それ自体は誰も反対しないのですが、それが新しい事をやろうとすると「それは子供にとって良くない」という理由で却下されることも多いようです。たとえば携帯電話ですね。携帯電話が子供にとって良くない点も多々ありますが、良い点も有ります。そういった両面を比較せずに、とにかく「子供にとって良くないから」という理由を言われると誰も何も言えなくなってしまう、というのが思考停止の状態です。
目的が倫理的に正しい時、手段に対して思考停止が起こるように感じます。
一番たちが悪いのは、正しい目的に対して、目的に合わない手段でやろうとしている場合です。
しかも、本人たちはその非整合に気付いていない。
例えば、「被災地のために」という人たちが本当に被災地のために正しい事をしているでしょうか?例えば、「日本のために」という人たちが本当に日本のために正しい事をしているでしょうか?
さらに言えば、これらには確信犯もいます。「**のために」と言っておけば、周りは目的の正しさに目を奪われて手段まで見ないケースです。一時期、詐欺事件があったようですが、「被災地のために寄付して下さい」などと言われるとお金を出したくなってしまうものですが、実際にそれが復興のために使われているかどうかまでは考えないことが往々にして多いように思います。
書いてみると当たり前の話ですが、現実には往々にして起こり得ることです。では、なぜこういう事が起こってしまうのか?
理由は二つあると思います。
一つは、「目的が正しければ、手段も正しいだろう」という暗黙の前提を置いてしまう事。これがいわゆる思考停止になっている状態ですね。
もう一つが、手段の否定をすると、目的まで否定した、と思われてしまう、という恐怖感です。特に、目的が人道的に正しければ正しいほど、原理主義、とは言わないまでも盲目的にそれを推進する方もいらっしゃいます。そして、盲目的になるほど、手段の否定=目的の否定、と捉える方が多いのも事実です。だから、「そのやり方じゃ目的は達成できないだろう」とこちらでは指摘したつもりだったとしても、相手は、「こいつは悪である」と捉えて攻撃される可能性があるのです。
もう少し考えると、「**のために」とはどういう事なのか、考えることも必要だと思います。例えば、「子供のため」というのは、どういう状態になれば子供のためと言えるのか、それは健康であれば良いのか、国際社会で戦える力を身につけられれば良いのか、等などです。
どうしても、一見して正しい事、誰が見ても正しい事について、考えることを止めてしまいがちです。
ですが、「ちょっとおかしいな?」と思ったら改めて立ち止まって目的と手段の整合性について考えてみると良いと思います。
なお、図中に示した「間違った目的、整合した手段」は、着実に破滅へと向かう、という点でとても悲しい状況です。目的も手段も間違っているとしたら、もはや迷走以外の何物でもありません。
シナプスの問題解決スキル講座はこちら
「思考停止」という言葉は、ロジカルシンキングやクリティカルシンキングとともに良く使われるキーワードです。
例えば、教育界では良く「子供のために良い事を」という意見が出ます。それ自体は誰も反対しないのですが、それが新しい事をやろうとすると「それは子供にとって良くない」という理由で却下されることも多いようです。たとえば携帯電話ですね。携帯電話が子供にとって良くない点も多々ありますが、良い点も有ります。そういった両面を比較せずに、とにかく「子供にとって良くないから」という理由を言われると誰も何も言えなくなってしまう、というのが思考停止の状態です。
目的が倫理的に正しい時、手段に対して思考停止が起こるように感じます。
一番たちが悪いのは、正しい目的に対して、目的に合わない手段でやろうとしている場合です。
しかも、本人たちはその非整合に気付いていない。
例えば、「被災地のために」という人たちが本当に被災地のために正しい事をしているでしょうか?例えば、「日本のために」という人たちが本当に日本のために正しい事をしているでしょうか?
さらに言えば、これらには確信犯もいます。「**のために」と言っておけば、周りは目的の正しさに目を奪われて手段まで見ないケースです。一時期、詐欺事件があったようですが、「被災地のために寄付して下さい」などと言われるとお金を出したくなってしまうものですが、実際にそれが復興のために使われているかどうかまでは考えないことが往々にして多いように思います。
書いてみると当たり前の話ですが、現実には往々にして起こり得ることです。では、なぜこういう事が起こってしまうのか?
理由は二つあると思います。
一つは、「目的が正しければ、手段も正しいだろう」という暗黙の前提を置いてしまう事。これがいわゆる思考停止になっている状態ですね。
もう一つが、手段の否定をすると、目的まで否定した、と思われてしまう、という恐怖感です。特に、目的が人道的に正しければ正しいほど、原理主義、とは言わないまでも盲目的にそれを推進する方もいらっしゃいます。そして、盲目的になるほど、手段の否定=目的の否定、と捉える方が多いのも事実です。だから、「そのやり方じゃ目的は達成できないだろう」とこちらでは指摘したつもりだったとしても、相手は、「こいつは悪である」と捉えて攻撃される可能性があるのです。
もう少し考えると、「**のために」とはどういう事なのか、考えることも必要だと思います。例えば、「子供のため」というのは、どういう状態になれば子供のためと言えるのか、それは健康であれば良いのか、国際社会で戦える力を身につけられれば良いのか、等などです。
どうしても、一見して正しい事、誰が見ても正しい事について、考えることを止めてしまいがちです。
ですが、「ちょっとおかしいな?」と思ったら改めて立ち止まって目的と手段の整合性について考えてみると良いと思います。
なお、図中に示した「間違った目的、整合した手段」は、着実に破滅へと向かう、という点でとても悲しい状況です。目的も手段も間違っているとしたら、もはや迷走以外の何物でもありません。
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