前回の続きです。
前回はスポーツの価値、ということについて4つの観点で整理しました。
では、競技スポーツにエンターテイメント以外の価値はあるのか?
二つくらいあるのではないか、という仮説を持っています。
すなわち、「体育」としての価値と、「モデル(縮図)」としての価値です。
1) 「体育」としての価値
wikipediaによると、体育とは、「スポーツなどの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらうと共に、自己の体のしくみなどを学び育むこと」とあります。
トップアスリートの取り組みを見れば、心身、特に身体側の健やかな成長に寄与できる様々なものがあります。例えば、「プロが取り入れている運動法」「プロの食事法」などは一般に適用できれば、その分健康に近づけるでしょう。また、最近では選手にセンサーを付けて測定し、ヘルスケアに転用する、という話も聞きます。これらは、後者の「体の仕組みを学ぶ」ことに使われています。
ここには価値があり、これを利用することで新たなビジネスのネタにできるのでは、と思います。
2) 「モデル(縮図)」としての価値
アメリカでの研究がベストセラー本になったものの多くは、スポーツを分析している印象があります。例えば、リーダーシップや組織論等ですね(特に、カレッジスポーツのデータを使っている印象があります)。また、ビジネスの競争戦略を学ぶにおいて、スポーツを参考にする、というのは結構わかりやすいのでは仮説を持っています。ビジネスの場合、変数が多いので意外と理解が難しいのですが、スポーツの場合、変数が少ないので、戦略もわかりやすくなる。
ルールが簡単で結果が短期で明確に出やすいため、「モデル」として活用してそれを実社会に展開する、という方法があるような気がしています。
とはいえ、この話は、前述のエンターテイメントや上記の「体育」に比べると弱いですね。
だからなんだと言われると困るのですが、自分の頭の整理も兼ねて記載してみました。
スポーツの中の人は、派手に稼いでいるように見えて、結構な格差社会でもあり、産業化、収益化は結構重要なのだと思っています。
その意味で、すそ野を広げるのに、「スポーツの価値ってなんだっけ?」を考えるのは大事なんではないかなーと思っていたりします。
前回はスポーツの価値、ということについて4つの観点で整理しました。
では、競技スポーツにエンターテイメント以外の価値はあるのか?
二つくらいあるのではないか、という仮説を持っています。
すなわち、「体育」としての価値と、「モデル(縮図)」としての価値です。
1) 「体育」としての価値
wikipediaによると、体育とは、「スポーツなどの各種の運動を通じて、心身の健やかな成長をねらうと共に、自己の体のしくみなどを学び育むこと」とあります。
トップアスリートの取り組みを見れば、心身、特に身体側の健やかな成長に寄与できる様々なものがあります。例えば、「プロが取り入れている運動法」「プロの食事法」などは一般に適用できれば、その分健康に近づけるでしょう。また、最近では選手にセンサーを付けて測定し、ヘルスケアに転用する、という話も聞きます。これらは、後者の「体の仕組みを学ぶ」ことに使われています。
ここには価値があり、これを利用することで新たなビジネスのネタにできるのでは、と思います。
2) 「モデル(縮図)」としての価値
アメリカでの研究がベストセラー本になったものの多くは、スポーツを分析している印象があります。例えば、リーダーシップや組織論等ですね(特に、カレッジスポーツのデータを使っている印象があります)。また、ビジネスの競争戦略を学ぶにおいて、スポーツを参考にする、というのは結構わかりやすいのでは仮説を持っています。ビジネスの場合、変数が多いので意外と理解が難しいのですが、スポーツの場合、変数が少ないので、戦略もわかりやすくなる。
ルールが簡単で結果が短期で明確に出やすいため、「モデル」として活用してそれを実社会に展開する、という方法があるような気がしています。
とはいえ、この話は、前述のエンターテイメントや上記の「体育」に比べると弱いですね。
だからなんだと言われると困るのですが、自分の頭の整理も兼ねて記載してみました。
スポーツの中の人は、派手に稼いでいるように見えて、結構な格差社会でもあり、産業化、収益化は結構重要なのだと思っています。
その意味で、すそ野を広げるのに、「スポーツの価値ってなんだっけ?」を考えるのは大事なんではないかなーと思っていたりします。