総論賛成各論反対、という悩ましい状況は、多くの場合当事者によって起こります。

杉並区の保育園足りない問題で、業界界隈で議論が巻き起こっておりますようですが、この話がまさに総論賛成各論反対の構図ですね。
下記に二つの記事を紹介しますが、いずれも感情を排した客観的な意見でこの手の議論の割にいずれもしっかりとした主張がなされていて、何となく構図が見えてきます。
(割とどちらの主張もまっとうですし共感できます。)

◆記事A:「杉並保育園反対派からメッセージが来たので、反論します」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160607-00058573/

◆記事B:「杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160606-00058501/

記事Aの主張は、「来年4月に保育園が無いと、来年四月に職場復帰を予定している人が失職するので、保育園建設の方が優先度が高い」です。
記事Bの主張は、「公園は現在利用している人に価値が高く変えがたいがが、保育園は対案があるので、公園維持の方が優先度が高い」です。

この二つの議論は、「誰にとって」が違うので話が難しくなっている、というものでしょう。

はっきり言えば、杉並区の東原公園周辺住民以外の方にとって(社会的な影響力等の間接的な影響を除けば)、この意思決定は人生に全く影響をうけません。
あくまでも、
記事A:「周辺に住んでいて来年4月復帰予定の親」、と記事B:「現在公園を使っている周辺住民」の戦いなわけです。

この議論だと強いのはBでしょうね。なぜかと言えば、既得権益を奪われると言う明確な利益喪失があるからです。一方でAの親も一見して利益獲得に見えますが、「この公園に保育園が出来たからと言って私が入園できるとは限らない」というリスク含みな利益なわけです。

概して、人は何かを得るよりも何かを失う方に大きな経済価値を感じます。例えば、「新たに何かを購入するために出す金額」と「それを今持っていて売却する金額」では後者の方が高く提示する傾向があると言う事です。

その結果として、反対住民は声を挙げ、賛成住民は声が上がらない、という結果になります。


ほとんどの方が「待機児童を無くすために保育園を作るべきだ」と言えば、Yesと答えるでしょうし、「地域の子供のために公園を残すべきだ」と言えば、Yesと答えるでしょう。
ただ、「私の子供を保育園に入れるために、なんだか良くわからない公園を潰すべきだ」と言えばYesですし、その逆に、「知らない子供を保育園に入れるために、私の大事な公園を潰すべきだ」と言われればNoと答えるはずです。


結局、総論賛成であっても「誰にとって?」というところまで明確にすると各論反対になるケースが往々にしたる、と言う事なのです。