シナプス後藤です。
アイディアを出すときの手法の一つにブレインストーミングがあります。
皆さんは上手く使えていますか?
ブレインストーミングのルールは、多くの場合4つ挙げられます。
1) 批判しない
2) 自由奔放なアイディアを歓迎する
3) 質より量を求める
4) 人のアイディアに便乗する
批判から入ると、最初から突飛なアイディアが制限されることと、それ以上に参加者の心が萎えてしまって面白いアイディアが出にくくなってしまいます。
また、自由奔放なアイディアを歓迎する、とは、馬鹿げたもの、幼稚なもの、出来ないと分かっているもの等もアイディアとして出しておこう、と言う事です。これは、前提として良いアイディアは単体で思いつくものではなく組み合わせで作られていく、というものがあります。よく「ひねり」等と言われますが、このひねりを加えるために自由奔放なアイディアが呼び水になることが多いのです。
質より量、とは、効率から考えると良いモノを一個だけ出せばそれが一番良いのですが、アイディア発想の場合、たくさんださないと結局良いモノが出てこない、と言う事が往々にしてあります。それは上述したようにアイディアは「組み合わせ」で出来るため、ベースになるものが多い方が良い、と言う事です。
そして最後がアイディア便乗で、これがまさにアイディアの組み合わせを積極的にしましょう、と言う話です。
最近、この中の「批判する」というキーワードでは弱いのでは、と思いつつあります。
批判しない、と言うのは「そのアイディアは前にやって上手くいかなかったからダメだ」「そんな実現できない事は挙げても意味がない」等の指摘の事です。これを言い始めるとアイディアを出す方も心が萎えてきてしまい、発想が量より質になっていってしまいます。
では、批判しなければ良いのか?
正確には口に出さなければ良いのか?
「批判しない」と言うルールを決めると、「ダメ」と言う人は極端に減ります。なので、一定の縛りは出来るのですが、防げないことが一つあります。それは、表情に出てしまう、と言う事です。
例えば、将来の自動車のあり方を考えよう、というブレインストーミングをしたとしましょう。
誰かが「自動車に乗らない」と言ったとしましょう。
こういうケースの場合、批判が口をついて出なくても、考え込んでしまい、「これってそもそも論じゃないの?」という顔をしてしまったり、「うーん、そういうのも有るんだけど、その場合は、、、あぁ、批判しちゃいけないよね。」という意見になります。
なぜ、こういう事が起こるのか?
それは出たアイディアをその場で評価してしまうからです。これは良いのか悪いのか。出来るのか出来ないのか。テーマに合っているのか合っていないのか。
ただ、ブレインストーミングで出てくるアイディアは単体で評価することにあまり意味がないケースが多いように思います。前述したとおり、「組み合わせて使うから」で、組み合わさる前のパーツパーツ単体はNGであることが多いのです。
喩えて言えば、自動車になる前の鉄の塊を目の前にして、「この鉄の塊は運転できないよね」と却下するようなものです。それは当たり前でしょう。鉄の塊ですから。ただ、それを加工することで、立派な車になっていくわけです。
つまり、ブレインストーミングの初期の段階では、やらなければいけないのはアイディアの量を出す事。そのアイディアの内容は後で組み合わせるためのパーツに使えればよく、その場で評価することは害でしかないのではないでしょうか。
効果的なブレインストーミングを行う場合、「批判しない」ではなく、「評価しない」というルールをお勧めします。
※「評価しない」という表現は何かの本で読んだか、誰かに聞いて気が付いたことなのですが、出所を失念してしまいました、、、思い出したら記載しようと思います。
アイディアを出すときの手法の一つにブレインストーミングがあります。
皆さんは上手く使えていますか?
ブレインストーミングのルールは、多くの場合4つ挙げられます。
1) 批判しない
2) 自由奔放なアイディアを歓迎する
3) 質より量を求める
4) 人のアイディアに便乗する
批判から入ると、最初から突飛なアイディアが制限されることと、それ以上に参加者の心が萎えてしまって面白いアイディアが出にくくなってしまいます。
また、自由奔放なアイディアを歓迎する、とは、馬鹿げたもの、幼稚なもの、出来ないと分かっているもの等もアイディアとして出しておこう、と言う事です。これは、前提として良いアイディアは単体で思いつくものではなく組み合わせで作られていく、というものがあります。よく「ひねり」等と言われますが、このひねりを加えるために自由奔放なアイディアが呼び水になることが多いのです。
質より量、とは、効率から考えると良いモノを一個だけ出せばそれが一番良いのですが、アイディア発想の場合、たくさんださないと結局良いモノが出てこない、と言う事が往々にしてあります。それは上述したようにアイディアは「組み合わせ」で出来るため、ベースになるものが多い方が良い、と言う事です。
そして最後がアイディア便乗で、これがまさにアイディアの組み合わせを積極的にしましょう、と言う話です。
最近、この中の「批判する」というキーワードでは弱いのでは、と思いつつあります。
批判しない、と言うのは「そのアイディアは前にやって上手くいかなかったからダメだ」「そんな実現できない事は挙げても意味がない」等の指摘の事です。これを言い始めるとアイディアを出す方も心が萎えてきてしまい、発想が量より質になっていってしまいます。
では、批判しなければ良いのか?
正確には口に出さなければ良いのか?
「批判しない」と言うルールを決めると、「ダメ」と言う人は極端に減ります。なので、一定の縛りは出来るのですが、防げないことが一つあります。それは、表情に出てしまう、と言う事です。
例えば、将来の自動車のあり方を考えよう、というブレインストーミングをしたとしましょう。
誰かが「自動車に乗らない」と言ったとしましょう。
こういうケースの場合、批判が口をついて出なくても、考え込んでしまい、「これってそもそも論じゃないの?」という顔をしてしまったり、「うーん、そういうのも有るんだけど、その場合は、、、あぁ、批判しちゃいけないよね。」という意見になります。
なぜ、こういう事が起こるのか?
それは出たアイディアをその場で評価してしまうからです。これは良いのか悪いのか。出来るのか出来ないのか。テーマに合っているのか合っていないのか。
ただ、ブレインストーミングで出てくるアイディアは単体で評価することにあまり意味がないケースが多いように思います。前述したとおり、「組み合わせて使うから」で、組み合わさる前のパーツパーツ単体はNGであることが多いのです。
喩えて言えば、自動車になる前の鉄の塊を目の前にして、「この鉄の塊は運転できないよね」と却下するようなものです。それは当たり前でしょう。鉄の塊ですから。ただ、それを加工することで、立派な車になっていくわけです。
つまり、ブレインストーミングの初期の段階では、やらなければいけないのはアイディアの量を出す事。そのアイディアの内容は後で組み合わせるためのパーツに使えればよく、その場で評価することは害でしかないのではないでしょうか。
効果的なブレインストーミングを行う場合、「批判しない」ではなく、「評価しない」というルールをお勧めします。
※「評価しない」という表現は何かの本で読んだか、誰かに聞いて気が付いたことなのですが、出所を失念してしまいました、、、思い出したら記載しようと思います。